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Monday, January 26, 2009

素人が考える最近の司法制度

裁判員制度に代表されるように、司法制度というものがかなり身近に感じられて来たように思える。

裁判員制度は細かな運用まで熟知していないけれど、基本的には賛成で、裁判員に選ばれれば嫌とは言わずに参加するつもりだし、むしろ参加したいと思っています。

なので、この制度に反対している大多数の人の理由について、正直なところ全く共感ができなかったりする。

そもそもこの制度の本来の目的は、閉鎖された司法制度に一般国民の常識を取り入れることだったような。(違ってます?)

また、行政や立法機関に関しては国民が選挙や住民請求などでの直接行使がある程度できるものの、司法については最高裁判所裁判官の国民審査くらいじゃないですかね。これだって機能しているかと言えば全く形式的なものでしょう?

そういう意味で、司法制度に参加するというのは長い目で見れば国民の利益にかなうものだと思っています。

それを、面倒だとか判断できないとか、そんなのはプロに任せておけばいいとか言って反対しているのは本来の目的を否定するもので、どうかと思ったりもします。

もちろん、いろんな事情で参加できない人もいると思いますから、例外規定は設けるべきだし(既に一部ありますし)、これからも細かい運用を見直していく必要はあると思いますが、大げさに言えば折角司法というものを国民の手に(一部でも)取り戻したわけで、それに参加するのは社会の一員である市民の義務じゃないかと思ったりもします。

賛否いろいろあると思いますが、私は裁判員制度を支持しますし、これからダメな運用については見直せばいいんだと思っています。

ですが、先週初めて実施されたいわゆる「被害者参加制度」については慎重な考えを持っています。

昨今の報道を見ていると、人の道を外れたような残虐な事件や、無責任な被告などが多い気もしていますので、被害者家族の気持ちとしては大変なものと思います。それは理解できますし、私自身もその立場になればそうなるでしょう。

しかしながら、ただ感情に訴えて、それを基にマスコミや世論が動き、ある意味偏りすぎた判決が出てしまうような恐れがあるのではないかと思います。

最近はどうも目には目を的な、やられたらやり返せケースが多い気がしています。遺族や被害者としては当然の思いではあると思いますが、場合によっては遺族側の思いが一般目線から見ると強すぎるというケースもあるのではないかと思います。

被告への尋問がちょっと問題かもしれませんね。

以下、報道されているものです。

「実刑望む」「立派な大人になれ」…初の被害者参加公判

ここにも記載されているように、

妻は「思っていることを言うことができ、意義があった」と話す一方、法廷での被告の態度について、「誠意が感じられず、怒りがわいた」と涙ながらに語った。兄は「冷静さを保つのは苦しかったが、自分たちが前例になると思い、感情的にならないよう心掛けた」と述べた。

というように、この方たちは冷静に対応されたとのことですが、感情のまま被告を罵倒するようなケースだってあるはずです。

そして、憎しみを基にした一方的な主張を、被告は反論もできずに黙って聞いて頷くしかないんですよね。事実とは違ったとして反論したら、反省がないと取られてしまいかねません。

それは、公正な裁判とはもはや言えないのではないかと思います。裁判とは、被告を吊るし上げる場ではない、というのが私の考えです。

全ての人がこの裁判の被害者の方のように冷静に対応できるわけではないということ、またそれに合わせて今後裁判員制度が本格的に始まり、今までよりも感情に偏った判決が出てしまう恐れがあること、それを踏まえてもう一度全体像を見直し、改めるべきところは改めるべきと思います。

※私は特に司法や法律に詳しいわけではないので、間違いなどがあるかもしれません。まぁ、一般市民の意見ですw 間違いがあれば指摘していただけるとうれしいですw

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